23年間変わらないフィリピンの子供たちの笑顔

 

23年前の2000年、大学生だった私は、そうとは知らずに、その後の人生にとてつもない影響を与える活動の第一歩を踏み出しました。

あれから23年。大学生だった私は社会人になり、天職だと思える仕事に就き、結婚し、やんちゃすぎる息子たちが生まれ、生活は何もかもが大きく変わりました。

それにも関わらず、想いだけは変わらない。それが、23年後の今も続けている、それが、フィリピンにある児童養護施設の支援活動です。

この夏、約10年ぶりくらいに、久々にその施設を訪問することができ、それは感慨深いものとなりました。

23年前も今も私たちの支援活動は、施設にいる子どもたちの大学や専門学校への進学費を中心とした経済的支援と、毎年会いに行くという精神的支援が中心です。

私たちの活動は、はたから見れば、ボランティアやチャリティ活動であり、国際支援的な活動にあたるのかなと思いますが、私の中にあるのは、家族の誰かが落ち込んでいれば心配するし、泣いていれば寄り添いたいし、笑っていれば一緒に笑うし、困っているば助けたい。ただそれだけのいたってシンプルな想い。

そして、私たちと施設のスタッフや子どもたちとの関係は、支援する側とされる側というものを超え、23年という間、話して、笑って、歌って、踊って、本気で遊んで、鬼ごっこして、夢を聞いて、肩を並べて、ハグして、そしてともに成長して・・・そのような時を経て、それはまさに家族。

私たちの支援によって、施設の子どもたちは、大学や専門学校に行けて、就職がしやすい道筋を用意することができていますので、そのこと自体は誇らしく嬉しく思っています。

でも、子どもたちの笑顔に元気をもらっているのは、よっぽど私たちの方で、激動のコロナを経ても、全く変わらない、穏やかで、屈託のない子どもたちの笑顔を支えてくれている、スタッフたちの深い深い愛情や覚悟に、強くインスパイアされているのは、完全に私たちの方です。

私たちはあまりに多くのものを彼らからもらっているから、恩返ししたい。今思うのは、本当に純粋にそんな想い。

子どもたちは、ひとりひとりその背景に目を向ければ、2畳くらいの広さをコンクリートで3面囲っただけのスペースが実家であったり、自身の誕生日がお母さんが亡くなった日であったり、親や家族を殺されていたり、言葉にならないほどの事情を抱えていたりします。

それにも関わらず、目の前にいるのは、穏やかな笑顔や屈託のない笑顔をうかべている子どもたち。

特にこの4年間は、医療面でも情報面でも日本とは比較にならないような不安を抱えながらコロナ渦を過ごしてきたわけで、その苦労は計り知れない。だからこそ、スタッフと目が合い、ハグするたびに、涙が溢れるし、私の拙い英語では伝え切れない想いでいっぱいになります。

23年越しに、そして約10年ぶりに再会したスタッフや子どもたちと触れ合って、改めて思ったことは、あなたがいてくれて本当に良かった、ただもう本当にそれだけでした。

あのスタッフに笑顔でいて欲しい、あの子に元気でいて欲しい、そのためにできることをしたい。

来年もまた会いに行けるといいな。

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